音楽はお好き? 「アイネ・クライネ……」は失敗作?!
作曲家は、演奏会のように芸術を鑑賞するための行事に曲を書いているのかというと、決してそうではありません。少なくても18世紀いっぱいは、一般の人が聞ける音楽会はほとんどなかったのですから。大作曲家も、宴会の伴奏や、自分の生徒の教材用に書いた曲がたくさんあります。
モーツァルト(1756~91年)の作品の中で一番有名だと思われる「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1787年完成)は「一つの小さな夜の曲」と訳されますが、実は知り合いの貴族の館で開かれた宴会のために書かれたものでした。頼んだ人の名前は伝わっていません。
パーティーなどでは、初対面の人同士がうちとけて話せるように、何かの音楽を流しておく習慣があります。つまりその音楽は聞くための曲ではなく、ザワザワした感じがあればそれでいいのです。
モーツァルトも本当は、ちゃんとお客さんが聞いてくれる演奏会の曲を書きたかったはずです。しかし、31歳の頃はかなり貧乏になっていたので、どんな依頼でも受けていたのでした。
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が弦楽合奏でも、たった4人でも弾くことが可能という編成も、演奏者の数が決まっていなかったためではないでしょうか。
全曲は4楽章でできていますが、実は書きかけの楽章が残っているので、完成した部分だけでまとめたとも考えられています。
第1楽章は堂々としたソナタ形式(古典派で最も重要な作り方)の曲、第2楽章がロマンチックで美しい速度のゆるやかな曲、第3楽章は踊りの曲で、ワイルドな感じの曲想のメヌエット、第4楽章は急速なロンド(同じ曲想が何回も表れる)です。これ以上完ぺきな書き方はないといわれるほどの名曲です。
しかしこの曲の謝礼は多くなかったようです。なぜなら、これほどの完成度をほこる曲を聞くと、宴会のお客たちはしゃべったり食べたりするのをやめて、音楽に聴き入ってしまうからです。それでは使い道としては全く無意味ですね。
天才とは時として認められないこともあるのです……。かわいそうに。
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青島広志(あおしま・ひろし)。1955年、東京生まれ。東京芸術大学、同大学院修士課程を首席で卒業、修了。「火の鳥」「11ぴきのネコ」などこれまでに200曲あまりを作曲。著書に『クラシックの時間ですよ!』など。東京芸術大学講師、洗足学園音楽大学客員教授。テレビ出演多数。イラストも筆者
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