『桜木建二が教える 大人にも子どもにも役立つ 2020年教育改革・キソ学力のひみつ』
まずは、大名たちの年齢に注目して情報を整理
幕末〜明治維新のころを「時代の転換点」と捉え、きちんと流れを理解するのが日本史学習のキモだということを、伊藤さんから前回教えていただいたな。
では歴史を学習するにあたって、ほかにポイントとなる時代はあるだろうか。
「戦国時代ですね。こちらも明治維新の時期と並ぶ日本史の転換点ですから。
たくさんの人物が入り乱れて歴史が動いていくので、なかなか頭に入ってこないかもしれませんが、それは戦国大名を並列して考えすぎるから。
たとえば、毛利元就と織田信長と伊達政宗というスター級の大名たちがいますね。
みな戦国時代の人物であって、つい同じときを生きていたような気がしてしまうけれど、そうじゃありません。
信長が歴史に本格参入する『メジャーデビュー』戦は、桶狭間の戦いでした。彼が20代半ばのときの出来事です。このとき毛利はすでに60歳を超えています。そして伊達政宗はまだ生まれていない。
そう聞くと意外に思ってしまいますよね。でも実態はそういうもので、戦国時代はけっこう長いんです。
まずは主要な人物たちが時代のどのあたりで生没しているのか確認するだけでも、頭のなかがかなり整理されますよ。
大名の行動、ねらいは京都との距離で差
さらには、戦国大名のふるまいを知るには、生まれた土地をチェックするのが何より大事です。それによって、生きるモチベーションがまったく違ってきます。
彼らの最大の目標は『天下をとる』ということですよね。その天下とは、朝廷のある京都のこと。ここを攻め落とせるかどうかが勝負なのですが、京都からあまりにも遠く離れたところに生まれてしまったら、その時点で天下をとるのはほぼ不可能になってしまいます。
ですから東北に生まれた伊達政宗などは、残念ながら天下を狙うのは難しかった。北条早雲、北条氏康らを擁した北条家は、関東を本拠としており、地勢上からいって天下を狙えないとよく理解していました。
そこで、西へ勢力を伸ばそうというよりも地域密着型を目指し、地元では絶大な力と支持を得ることとなりました。
武田信玄も、いくら大人物だったりいくさに強かったりしたとしても、天下をとるには生地が京都から遠すぎました。
そこへいくと、織田信長は生まれた場所とタイミングが天下とりに最適でした。信長の出生地である名古屋近辺は、京都までの距離がほどよいのです。
京都に近すぎると寺社勢力と朝廷の力が強すぎて潰されてしまう。遠すぎると、あいだにほかの大名が多すぎて都まで行き着けない。
信長の生まれた地はまこと絶妙な距離感だったのです。
そうして信長は、天下をとるという明確な目標を掲げて、本拠地を徐々に京都へ近づけながら戦略的に戦国の世を生き抜いていきました。
このような流れとストーリーを知ることが、これからの歴史の学習には不可欠となっていきますよ。
桶狭間の戦いの年代を問われるだけの問題よりも、『信長が天下統一できた要因を考えて述べよ』といったことが出題されるように、どんどんなっていきますから」
伊藤賀一 1972年9月23日、京都市生まれ。法政大学文学部史学科卒業後、東進ハイスクール最年少講師として30歳まで授業を担当。その後、20以上の職種を経験し、4年後、秀英予備校で塾講師に復帰。現在、小学生から社会人までを対象とするオンライン予備校『スタディサプリ』で、日本史、倫理、政治経済、現代社会、中学地理、中学歴史、中学公民を担当する。43歳で一般受験し、現在、早稲田大学教育学部生涯教育学専修3年に在学中。多彩な経験をベースとする話術で受講生たちをひきつけている。
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「ドラゴン桜2」 作者は、漫画家・三田紀房さん。中堅校に成長したが、再び落ちぶれつつある龍山高校が舞台。弁護士・桜木建二が生徒たちを東大に合格させるべく、熱血指導するさまを描く。教育関係者らへの取材をもとに、実用的な受験テクニックや勉強法をふんだんに紹介している。雑誌「モーニング」(講談社)や「ドラゴン桜公式メルマガ」で連載中。
ライター・山内宏泰 主な著書に、『ドラゴン桜・桜木建二の東大合格徹底指南』(宝島社)、『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』(星海社新書)、『文学とワイン』(青幻舎)などがある。
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