お姫さまのお菓子物語
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール公爵夫人(1644~1710年)
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール公爵夫人は、太陽王と呼ばれたフランス王ルイ十四世(一六三八~一七一五年)に愛された人物です。一六四四年、フランス中部の町、トゥールの荘園で生まれたルイーズは、ブロンドの髪、すきとおるような肌を持った美しい女性に成長します。その青い目に見つめられるだけで、男性たちは心をうばわれました。
ルイーズが、ルイ十四世に出会ったのは十七歳のとき、星がふる夏の夜のことでした。その夜、ベルサイユ宮殿では、舞踏会がもよおされ、バレエが上演されました。出演することになっていたルイーズは、バレエを見にきたルイ十四世と運命的な出会いをします。
二人のなかはむつまじいものでしたが、あるとき、けんかをしてしまいます。なかなおりに来ない王さまに絶望したルイーズは、修道院へ入ってしまいます。あわてたルイ十四世は、馬を走らせてむかえにいき、愛情の深さを示したという話が残されています。
ルイーズは、ルイ十四世からおくられた館で幸せな日々を送ります。その館で考案されたのが、「シャルロット・ド・ラ・ヴァリエール」や、「イチゴのタンバル」などのお菓子です。シンプルに見えるお菓子ですが、中には季節の果物が秘められていて、ルイ十四世を大いに喜ばせました。
その後、ルイ十四世は、別の女性に心を移してしまいます。王の心変わりを悲しんだルイーズは、ふたたび修道院にのがれます。しかし、王がむかえにくることはなく、生涯を修道院で送りました。
☆イチゴのタンバル
赤いイチゴと白い生クリームの対比が美しい「イチゴのタンバル」は、ショートケーキの元祖といわれ、ルイーズが考えたものです。ヨーロッパでは、十八世紀に入るとオーブンが普及し、盛んにスポンジケーキが作られるようになりました。「イチゴのタンバル」は、フランスのベルサイユ宮殿からドイツへ、そして、アメリカへ伝えられると、一般の人たちにも大人気でした。
昔から農業国だったフランスでは、良質の小麦粉や牛乳、バターが手に入りやすく、ベルサイユ宮殿には、季節の果物もたくさん届けられました。春を知らせるイチゴをたくさん使ったこのお菓子は、貴婦人たちの社交の場を明るくさせたことでしょう。
「タンバル」というのは、お菓子作りに使われる型のことで、「太鼓」という意味です。もともとの形は、スポンジをくりぬいた中にイチゴと生クリームをつめたお菓子ですが、ここでは作りやすい形のものをご紹介しますね。
〈材 料〉
(12センチ丸型1台分)
A
市販のスポンジケーキ12センチ……1台
グラニュー糖……50グラム
水……100ミリリットル
B
生クリーム……180グラム
グラニュー糖……10グラム
C
イチゴ……5~6粒
グラニュー糖……小さじ1
グランマニエ酒……小さじ1
※「フィリング」……ケーキなどにつめたり、はさんだりするもの
〈作り方〉
① なべに材料Aのグラニュー糖と水を入れて煮立たせ、グラニュー糖がとけたら火を止め、冷まして、シロップを作る。
② 材料Bの生クリームにグラニュー糖を加え、八分立てになるまで泡立てる。できあがった生クリームは、フィリング用に60グラム分けておく。
③ へたをとったイチゴを半分に切り、材料Cのグラニュー糖とグランマニエ酒をふりかける。
④ フィリング用に分けておいた生クリームと③をさっくりとあえる。
⑤ スポンジを横半分に切り、断面に①のシロップをぬり、④のフィリングをはさむ。
⑥ 側面にも軽くシロップをぬり、生クリームをパレットナイフでぬる。
⑦ 残りの生クリームをさらにしっかり泡立て、星形の口金をつけたしぼり袋に入れて、デコレーションする。
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【監修】今田美奈子(いまだ・みなこ)洋菓子・食卓芸術研究家
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