取材NGに納得の理由!洋食店が積み上げた常連との日常/東京・浅草橋「一新亭」

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創業116年を超える東京・浅草橋の老舗洋食店「一新亭」。その深い歴史と確かな味からも、取材申し込みが絶えないという人気店ですが、基本的に依頼はすべて断っているそう。それでも、直接交渉の末に話を聞いたところ、その背景には3代目・秋山武雄さんと奥さまが考える、常連さんを大切にしたいという強い思いが見えてきました。

旦那衆がひいきにする欧州仕込みのフルコースが発祥

東京・台東区にある浅草橋といえば、ハンドクラフト素材の専門店や卸問屋、昔ながらの節句人形やおもちゃ屋さんなどが多数立ち並ぶ、元祖・ものづくりの街。隅田川と神田川に挟まれ、江戸時代から物資輸送の拠点として問屋業が発達しました。

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24歳で店を継いだ3代目・秋山武雄さん。60年もの長きにわたり一新亭の厨房に立ちながら、実はプロカメラマンとしても現役で活動中

この街に「一新亭」が誕生したのは、1906(明治39)年のこと。欧州航路を行く船で料理人をしていた秋山さんの祖父が創業し、店名には「一番新しい食べ物を提供する」という思いが込められているそう。

「開店当時は洋食のフルコースを提供する店だったんです。ステーキ、コンソメ、牛乳を使ったポタージュやグラタン、コキールなどの洋食は、当時の日本人にとってなじみの薄い新しい食べ物でした。父(2代目)も祖父(初代)の思いを受け継いで『うちは飯屋じゃないから、ライスは白米のままでは出さない』と、オムライス、チキンライス、ハヤシやカレーなどを調理して出すことにこだわっていましたね」(武雄さん)

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店を訪れる建築関係者も驚くという天井は、諸外国の建造物をたくさん見てきた初代ならではの見立て。当時の照明はシャンデリアだったそう

メニューの提供スタイルも、「カツカレー」などのような盛り合わせの一皿ではなく、「カツレツ」と「カレーライス」など、複数の皿で提供。しかし、席数にして20にも満たない小さな店で、フルコースを提供していては収益性が低い。そこで、新たにカツレツの出前を始めることに。界隈には帽子などのテーラーが点在しており、普段は旦那衆が外食で楽しんでいた看板メニューを、住み込みで働く仕立て職人たちに振る舞うためにもよく利用されていたとか。

現在のような単品提供へと移り変わったのは、戦後で食材調達すらままならなかった2代目から。明治から大正、昭和へ。時代と共に一新亭も少しずつ変わっていきました。

少しずつ形を変えるメニューと、変わらないスタンス

頑固でこだわりが強かったという初代、戦後の混乱期を乗り越えた2代目、そして24歳で3代目を継いだ武雄さん。時代と共にメニューの提供スタイルに変化はあれど、変わらず継承してきたレシピのひとつに、カツレツにも使われているソースがあります。常連さんから「ソースだけ分けてほしい」と頼まれることも少なくなかったという逸品。しかし、50年以上にわたって愛されたこのソースも、その役目を終える日が来ます。

「15種類以上の香辛料を調合して1日がかりで仕込んでいましたが、とてもじゃないけど割に合わないんです。そのうち市販品のソースも出てきたから、手間暇かかった手作りのソースの味を知らない人も増えてきて……。でも、時代やお客さまが変われば、食べるものも変わりますから、必然だったのかもしれませんね」(武雄さん)

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オムライスのトッピング選びに迷ってしまう現在のメニュー。しかし、いろいろな話を聞いていると、ハヤシライスもカレーライスも食べたくなる

時代と共に生活様式が変わり、社会も変わる。土日や夜間もいとわない働き方が見直され、住み込みで働いていたテーラーの職人たちは、いつしかサラリーマンとなって自分の家を持つようになり、多忙を極めていた出前の数も減少していきました。

一転、経済成長期は外食産業も大きな盛り上がりを見せ、雑誌やTVなどでは次々と飲食店が取り上げられるようになります。一新亭にも多くの取材依頼が寄せられましたが、今では基本的にTVの取材は断り、電話での取材依頼も受けていないそう。

「これだけの広さしかないでしょう? 取材の後はお客さまがたくさん来てくれますが、うちはご常連で持っている店ですからね。混み合えばご常連を待たせてしまうし、店内もなかなか落ち着かない。取材のお申し込みは本当にありがたいのですが、取り上げていただくことがデメリットになることもあるんですよ」(武雄さん)

一新亭のこれまでの歴史は、紛れもなく常連さんとの「日常」を重ねたもの。時代が変わり、たとえメニューが変わっても、一新亭をひいきにしてくださるお客を大切にしたいという思いはずっと変わりません。

遠方から足を運ぶお客のために、まかないが昇華した「三色ライス」

現在、立て看板には「オムライスの旨い店」と書かれ、卓上メニューにも「オムライス+フライ」のトッピングがずらり。しかし、一新亭の口コミやハッシュタグをさかのぼると、そのほとんどが実は「三色ライス」というメニューについて。このハヤシライス、オムライス、カレーライスを盛り合わせた特別な一皿が誕生したのは、今から25〜6年前のこと。とある漫画がきっかけでした。

「3週連続でハヤシライスを食べに来てくださったお客さまが、実は漫画の編集者だったんです。3週目に名刺をいただき『このハヤシライスを取材させてほしい』と申し出があって、漫画で紹介されることになりました。なんでも、その漫画を買うと読者プレゼントとしてスプーンがもらえるとかで、全国的に売れたみたいですよ。おかげさまで北海道から沖縄まで、たくさんの方が食べに来てくれました」(武雄さん)

その漫画が売れたのは、けっしてスプーン欲しさだけではなく、当時のグルメブームを牽引した有名な漫画だったからだそう。一新亭のハヤシライスのために遠くから足を運んでくれて、みんなが「おいしい」と笑顔で帰っていく。喜ばしい出来事と思いきや、武雄さんは少しだけやるせない思いも抱いていたようです。

「北海道の人も沖縄の人もみんな、『また来ます』『今度はオムライス食べますね』と言ってくれるんです。でもね、そう簡単に来られる訳がない。そこで、一度に店の代表的なメニューが全て食べられるよう、カレーとハヤシ、オムライスを一つの皿に載せてみてはどうかと。これが『三色ライス』の始まりで、カレーとハヤシの合い掛けは、実はまかないでも食べていたものなんですよ」(武雄さん)

お客とのやりとりから生まれた三色ライスはたちまち話題となり、来店客のほとんどが注文する看板メニューとなりました。

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インパクト大の三色ライス。薄焼き卵でチキンライスをぎっしり包みこんだ、美しいフォルムのオムライスに、どこか懐かしさを感じる深い味わいのカレー。そして艶やかなハヤシは、ひと口含めば牛のコクがたっぷり溶け込んでいるとすぐにわかる。老舗洋食の伝統をふんだんに感じられる一皿

儲けだけが全てではない。「また来る人ぞ福の神」

一新亭の席数は2代目の時代から変わらず、わずか12席。これまでに規模を大きくしたいと考えたことはなかったのでしょうか。

「店の味っていうのはね、一代限りのものだと思っています。たとえ、そのメニューの形と色は真似できても、味だけは絶対まねできない。だからといって、もう一人シェフを雇って席数を増やしたとしても、本当の意味で一新亭の味を提供することにはなりません。チェーン店のように決まったレシピで提供する店であれば別だけど、儲ければいいってもんじゃないですしね。お客さまがリピーターになってくれることが一番です。“また来る人ぞ福の神”、これが当たり前のことだと思っています」

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1963(昭和38)年に結婚して以来、ずっと奥さまの洋子さんと二人三脚で一新亭を切り盛り。「お客さまに励まされているね、毎日。お金をいただいて『おいしい』って言っていただけるなんて、こんなにありがたい話はないです」(武雄さん)

「それとね、ごちそうさまと言っていただくだけじゃないんだと肝に命じています。食べてもらうだけでなく、食と心がつながってこそ街の洋食店と感じています」(洋子さん)

すべてのメニューに味噌汁がつき、三色ライスには手作りのお新香も添えられます。「大根のお味噌汁だなんて懐かしい、おばあちゃんの味を思い出した」と涙するお客もいたとか。食と空間を通してお客の心まで満たしてくれる、一新亭らしい素敵なエピソードです。

常連さんの好みから体調まで、寄り添う姿勢を忘れない

近隣に勤めている常連さんが仕事の合間や終業後に立ち寄り、ほっと一息をつく場所になっている一新亭。配膳を担当する洋子さんは、そんな常連さんとの会話から活力をもらっているといいます。

「時には会社でイライラすることもあるんでしょうね。『早く来たかった』とか、『ここに来るとほっとできる。だから絶対に辞めないで』と言われることもあります。こんな小さな店でもそんな風に思っていただけて、本当にありがたいなと思って頑張っています」(洋子さん)

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1928(昭和3)年に建て直して以来の佇まいを残す現在の一新亭。旦那衆にひいきにされた時代から現在に至るまで、近隣で働く人を「食と心」で支える

転勤や単身赴任で引っ越してしまっても、出張で来るたびに必ず寄ってくれる常連さんもいるそう。

「家族が住む家はすぐそこにあるのに、『オムライスのメンチ付を食べたらもう十分だ』って、自宅に寄らず赴任先へ戻っちゃう人もいるんですよ。奥さんが聞いたら怒るよね(笑)」(武雄さん)

お客にとって実家のような、温かな空気に包まれる一新亭。接客で気に留めていることについて洋子さんに伺うと、個々のお客に対する非常に細やかな配慮がありました。

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細やかな気遣いと、付かず離れずの絶妙な距離感、そして抜群の記憶力。まさに接客のプロフェッショナル!

「会話で私生活に深入りすることは一切しません。ただ、お客さまの好み、例えばケチャップを多くするとか、トマトが苦手、マヨネーズがないと食べられないとか、薬を飲む方ならタイミングを見てぬるま湯を出すとか。お客さまの好みや、何を必要としているかはとても気を付けています」(洋子さん)

接客だけでなく、調理の時点でも常連さんへの細かな配慮があります。

「前々から体調が悪いって話していたお客さまには、普段使っているラードをオリーブオイルに変えたりね。お客さまにはわざわざ言わないけど、常連さんだからこそ顔色が優れないとか、体調なども把握できます」(武雄さん)

「うちみたいな小さな店だからできることですよ」と付け加える洋子さん。しかし、これは店の規模感ではなく、一新亭だからできていること。常連さんに長く愛され続けている理由は、確かな味の提供だけでなく、常にお客に寄り添う姿勢にあるといえそうです。

「お客さまに対して真面目であれ」

多くの人に愛される一新亭にとっても、コロナ禍の影響はもちろん大きいもの。お客同士が密接しないよう席数をさらに少なくせざるを得ませんでしたが、洋子さんの仕事は増え、忙しくなったといいます。その慌ただしさを見かねて、現在は他県に住む2人の娘さんがお手伝いに来ているそう。

「もともとは12席で、今はコロナ禍だから7人くらいで満席というイメージ。もちろん売上の減少はありますが、ご常連は変わらずに来てくださるし、うちのことを思ってくれているのが分かります。ちょっと混んでいれば『また時間ずらしてくるよ』って、後から顔を出してくださる。本当にありがたいですよね」(洋子さん)

こうして話を聞いていると、「常連さんに恵まれている」という単純な一言で片付けることはできず、武雄さんと洋子さんだからこそ築けた関係性なのだと痛感するばかり。改めて、お客との向き合い方について武雄さんに質問してみたところ、「自分で言うのもおかしいけれど」と前置きしたうえで、こう答えてくれました。

「お客さまに対して真面目であれ。それだけですね。116年営業しているからどうだ、っていうこともないんです。お客さんは100年の看板を見て食べにくる訳じゃないでしょう? おいしいものを食べたいと思って来てくれます。だから、初代の名前を汚さないように今日の精一杯の料理を作り、『おいしい』と食べていただくだけ。結局はそれがリピーターにつながると思います」(武雄さん)

毎日の積み重ねがいかに大切なことかを再認識し、背筋が伸びる思いです。

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店内には武雄さんが撮影した昭和の東京・下町の風景が。毎日店に立つ一方で、撮影講師、新聞社への取材協力などカメラマンとしても精力的に活動。読売新聞都民版にて毎週水曜日に連載中の「秋山武雄の懐かし写真館」は10年の長期連載

最後に、我々スタッフ全員が唸ってしまったお二人の言葉をお届けします。

「ハヤシライスにしても味はいまだに、日一日と進化してますよ」(武雄さん)

「まだまだ修行ですよね。この修行はいつ終わるかわかりません」(洋子さん) 

先輩の背中は遠すぎる!私も精一杯、毎日を頑張らなくちゃ。これからも変わらぬ一新亭がそこにありますように。

 

【取材先紹介】
一新亭
東京都台東区浅草橋3-12-6
電話 03-3851-4029

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取材・文/前田実穂
編集ライター、メディアディレクター。原宿カルチャーから社会インフラまで、そしてローティーンからシニアまでとジャンル・世代問わず幅広く経験。飲食と接客が好きすぎて下北沢にてバルを運営(5年目)。実はITOベンチャーのCRM職出身という異色の経歴も。

写真/野口岳彦