岩政大樹さんは国立大卒の元プロサッカー選手。センターバックとして、2010年に南アフリカで開かれたワールドカップにも出場しました。「高校生のころは頭になかった」というプロ選手のキャリアを歩んだきっかけは、大学入試センター試験2カ月前の志望校変更でした。(松村大行)
足の骨折で志望校変更
ぼくが通っていた山口県立岩国高校は進学校です。当時はサッカー選手になれる可能性なんてまったく感じておらず、両親と同じく教師になろうと、教員養成で評判のいい広島大学を第1志望に考えていました。ただ、県の代表として10月の国体まではサッカーを続けて完全燃焼したいという思いがあり、同級生が部活動を引退した夏休み以降も練習に明け暮れていました。
そのもくろみが大きくかわったのが、国体の2日前に負った足の骨折でした。目標が突然なくなり、不完全燃焼の状態に……。高校で一区切りと考えていたサッカーを大学でも続けたくなりました。そこで選択肢にあがったのが、教員養成のレベルが高く、サッカー部が関東大学リーグ1部に属していた東京学芸大学でした。
センター試験まで残り2カ月というタイミングでしたが、不安になるどころか、むしろラッキーとさえ思いました。広島大学のために想定していたセンター試験の点数は800点満点中600点前後。国数英で計500点をとれば、苦手な暗記科目の理科と社会は50点ずつでいけるという算段でした。
そのころは国語Ⅰと国語Ⅰ・Ⅱという試験がありましたが、東京学芸大学は国語Ⅰ・Ⅱより簡単な国語Ⅰで済むなど、範囲が狭かったのです。結果的にセンター試験がうまくいき、得意な数学で勝負できる2次試験まで、テレビゲームで遊ぶ時間がとれるほどの余裕ができました。
両立のため事前に準備
そうは言っても、2カ月だけでなんとかなったわけではありません。ぼくは何でも一生懸命やりたい性格で、サッカーと勉強も両立したいと考えてきました。そのためカリキュラムがはやく進む理数科に高校2年時に編入するなど計画的に準備していました。
高3のはじめに、受験勉強の年間計画を立てました。11月までは国数英のうち毎日2科目ずつ取り組み、11月以降に理科と社会の問題を徹底的に解きました。勉強は授業中がメイン。問題集は休み時間に取り組み、帰宅後は部活で疲れていたので早めに寝ました。こうした生活を続けていたから、急な進路変更にも対応できたのです。
サッカーも勉強と同じく計画的に、具体的な成果を得たいと考え、高校時代から毎月一つ、重点的に練習するテーマを決めていました。たとえばヘディングで跳ぶタイミングがテーマの月もあれば、ボールと相手を同時にとらえる間接視野がテーマの月もありました。そうして3年間で36の技術を身につけました。
サッカーは好きでしたが、勉強は決して好きではありませんでした。でも先に進むには必要なことで、一生懸命やった結果が後の人生につながりました。いまは勉強が何の役に立つかわからなくてもいい。とりあえずやっておいたほうが得です。
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いわまさ・だいき 1982年、山口県周防大島町生まれ。東京学芸大学卒業後、2004年に鹿島アントラーズに入団。タイのリーグなどでもプレーし、昨年10月に現役引退を発表。現在は解説者や指導者として活躍。数学の教員免許も持っている。
(撮影・渡辺真理子)
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