お姫さまのお菓子物語
カトリーヌ・ド・メディシス(1519~89年)
ヨーロッパでは、十四世紀~十六世紀にかけて、イタリアのフィレンツェを中心にルネサンス文化が花開いていました。その時代に、フィレンツェを実質的に支配していたのがメディチ家です。メディチ家は、もともと医者か、薬をあつかう職業だったといわれていますが、その後、銀行業で大成功を収め、強大な力を手に入れます。フォークやナイフなどの食器や、テーブルマナーなど、食文化においても大きな足あとを残しました。
フィレンツェで生まれた豊かでおいしいお料理やお菓子は、やがてフランスに持ちこまれ、フランスは「美食の国」という名を手にすることになるのですが、この二つの国を結びつけたのが、カトリーヌ・ド・メディシスです。
一五一九年、カトリーヌ・ド・メディシスは、フィレンツェの大富豪、メディチ家の大ロレンツォの孫娘として生まれました。早くに両親が亡くなり、カトリーヌは修道院で過ごすことになります。修道院生活は、厳しくもありましたが、高価な献上品に恵まれ、美しいマナーや教養を身につけることができました。
十四歳のとき、フランスのアンリ王子(後のアンリ二世)と結婚。カトリーヌ妃は、最高級の材料を使ったお料理やお菓子を用意してお客さまをもてなし、食事では銀のナイフやフォークを使うマナーを習慣づけます。当時までフランスでは、手づかみで食べていたというのですからおどろきですね。
アンリ二世が、不慮の事故で亡くなると、息子のシャルルを支える日々を送ります。波瀾万丈の人生を送ったカトリーヌ妃は、八九年、六十九歳でこの世を去ります。
☆フィナンシェ
フィナンシェは、フランス語で「お金持ち」や「銀行家」という意味を持つ焼き菓子です。カトリーヌ・ド・メディシスが、アンリ王子と結婚したときに、いっしょにイタリアの食文化がフランスへ持ちこまれました。
生家のメディチ家は、銀行家としても成功を収めていましたので、お金の形をしたお菓子が生まれたともいわれています。
長方形で、黄金色にかがやくフィナンシェは、色も形もまさに金塊のよう。ユーモアに富んだイタリア人らしいお菓子ですね。
特徴は、たっぷりのバターが使われていること。バターは、焦がして使います。焦がしバターを「ブール・ノワゼット(ヘーゼルナッツ・バター)」と呼びますが、ヘーゼルナッツのような実の色や香りが出るくらいまで焦がしたバターだからです。このひと手間が加わることで、甘くて香ばしい香りが生まれるんです。
カトリーヌ妃の食卓には、ワインの香りが高い上品な口あたりのサバイヨンや、食べやすいフィナンシェ、繊細なソルベ(シャーベット)などのデザートが、銀のフォークなどとともに並べられました。銀器が並ぶテーブルは、星がかがやく夜空のようだったといわれています。
〈材 料〉
(フィナンシェ型20個分)
無塩バター……65グラム
卵白……2個分
グラニュー糖……50グラム
アーモンドパウダー
……30グラム
薄力粉……30グラム
バニラオイル……少々
※焼き菓子には「バニラオイル」、冷菓用には「バニラエッセンス」を使います。
〈作り方〉
① 小なべに無塩バターを入れ、弱火でとかし、軽くまぜながら、色がうっすらと茶色に色づくまで焦がす。そのまま冷ましておく。
② ボウルに卵白を入れ、泡立て器で軽くほぐし、グラニュー糖を加えてまぜる。
③ ②のボウルの中に、ふるいにかけたアーモンドパウダーと薄力粉を加えてまぜ合わせ、冷ましておいた①の無塩バターを加える。
④ ③にバニラオイルを少々加えて、室温で1時間ほどねかせる。
⑤ 生地を型に流し入れ、190度に温めておいたオーブンで15分焼く。
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【監修】今田美奈子(いまだ・みなこ)洋菓子・食卓芸術研究家
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