音楽はお好き?
ピアノを習う人が、必ず一度は用いる教科書「ソナチネアルバム」の中心人物は、ムツィオ・クレメンティ(1752~1832年)です。名字の終わりが「i」ですから、イタリア人です。
しかし、彼が故郷にいたのは14歳までで、その後はひんぱんに住まいを変えました。4歳年下のモーツァルトと似ています。クレメンティはモーツァルトと少なからぬ因縁があります。1781年にはオーストリアのウィーンで、ヨーゼフ2世の前で腕比べをし、負けてしまったのです。
ですが、モーツァルトはクレメンティの作った主題を無断で使って、「魔笛」序曲を書いていますから、気になる相手ではあったのでしょう。
この後、クレメンティは人前での演奏をきっぱりとやめ、ロンドンを拠点にピアノ指導、作曲(先のソナチネは生徒のために)、出版……と仕事を変え、ベートーベンの楽譜も出版しました。1798年からは「ロングマン&クレメンティ」というピアノ製作会社の経営者にもなりました。つまり、ピアノを弾く側から売る側へと転身したわけです。
50歳から8年間は社員や生徒を連れてヨーロッパ中にとどまらず、ロシアのサンクトペテルブルクにまでピアノのセールスに行きました。この同行者の中に、アイルランド生まれのジョン・フィールド(1782~1837年)がいました。この人は「夜想曲」(ノクターン)という題のピアノ曲を初めて書き、後のショパンに影響をあたえています。
生徒にはそのショパンの師となるカルクブレンナー、難易度の高い練習曲を書いたクラマー、モシェレスらがいます。
61歳からは設立されたばかりのロンドン・フィルハーモニック協会の指揮者を務め、当時としてはかなり長寿の80歳まで生き、「パルナッソス山への階段」という全3巻の、これまた難しい練習曲などのピアノ曲を書き続けました。
それなのに、ドビュッシーはこの曲を、サティは一番有名なソナチネをちゃかすなどして、かわいそうです。少なくとも彼がいなかったら、ピアノもピアノ曲も現在のようには広まらなかったはずです。少しは敬いましょう!
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青島広志(あおしま・ひろし)。1955年、東京生まれ。東京芸術大学、同大学院修士課程を首席で卒業、修了。「火の鳥」「11ぴきのネコ」などこれまでに200曲あまりを作曲。著書に『クラシックの時間ですよ!』など。東京芸術大学講師、洗足学園音楽大学客員教授。テレビ出演多数。イラストも筆者
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