革命に散ったベルサイユの赤いバラ
【マリー・アントワネットMarie Antoinette(1755~93年)】
歴史の中のお姫さまを考えるとき、真っ先に思いうかぶのは、フランス王ルイ十六世のきさきだったマリー・アントワネット妃です。
アントワネットは、一七五五年十一月二日、オーストリア女帝マリア・テレジアの子どもとして誕生します。青くかがやく瞳、灰色がかったブロンドの髪。愛くるしく陽気なお姫さまは、周囲の愛情を受けながら、何の不自由もなく、美しく成長していきます。
華麗さの中に悲劇的な結末をむかえるという大きなドラマは、当時、ヨーロッパで最大の勢力を持つオーストリアのハプスブルク王家と、フランスのブルボン王家との政略結婚から始まりました。十四歳の美しい花嫁は、沿道をうめつくしたフランス民衆の歓声でむかえられます。そのとき、二十数年後にののしりの声を浴びながら同じ道を通ることになるなどとだれが想像したでしょう。
ベルサイユ宮殿での暮らしはぜいたくをきわめ、大輪の赤いバラのように華やかな日々を送ります。ぜいを尽くしたアントワネットのドレスや髪形、食器や調度品、好んで食べたお菓子などは、「アントワネット様式」と呼ばれる形式美をつくりあげ、後世に大きな影響を与えることになります。
しかし、アントワネットのむだづかいは、国の財政に負担をかけてしまい、飢えに苦しむ民衆の反感を買ってしまいました。
その後、一七八九年にフランス革命が起こり、アントワネットは革命の嵐にのみこまれます。九三年十月十六日、パリ革命広場の断頭台で、三十七歳の生涯を閉じました。
☆クグロフ
クグロフは、古くからフランスの北東部、ドイツと接するアルザス地方に伝わる素朴なお菓子です。外はデニッシュのようにサクサクしていて、中はブリオッシュのようにしっとりしています。独特の山形は、クグロフ型という中心に穴の開いた専用の型を使って作ります。
レシピは、マリー・アントワネットがウィーンから持ちこんだといわれ、宮廷のファッションリーダーだったアントワネットが好んだお菓子は、ヨーロッパ中に広がり、大流行しました。
アントワネットが愛したお菓子には、華やかなババロアのデザート「シャルロット・マリー・アントワネット」や、卵白と砂糖をあわ立てて焼いた「メレンゲ」などがあります。プチ・トリアノンの離宮で、アントワネット自身が「メレンゲ」を焼いたというお話も残されています。
〈材 料〉
(15センチクグロフ型1台分)
強力粉……150グラム
砂糖……20グラム
塩……3グラム
ドライイースト……3グラム
牛乳……15ミリリットル(人肌に温めたもの)
卵……1個
牛乳……35ミリリットル
無塩バター……45グラム
レーズン……35グラム
オレンジピール……35グラム
バター……適量
〈作り方〉
①クグロフ型に、やわらかくしたバターをはけでぬる。
②ドライイーストと人肌に温めた牛乳15ミリリットルをよくまぜる。
③強力粉、砂糖、塩をボウルに入れ、まぜる。
④別のボウルに卵と牛乳35ミリリットルをよくまぜてから③に入れ、さらに②を入れる。粉っぽさがなくなり、一かたまりになるまでこねる。
⑤室温にもどし、やわらかくしておいた無塩バターを細かくしながら④に入れて、生地がなめらかになるまでしっかりこね、レーズン、オレンジピールを加える。
⑥生地がこねあがったら、ラップをかけて28度ぐらいの場所で、生地が約二倍になるまで40~50分発酵させる。
⑦生地がふくれたら、手で優しくおしてガスをぬく。
⑧クグロフ型に生地をそっと入れ、ラップをかけて35度ぐらいの場所で30分ほどさらに発酵させる。
⑨発酵が終わったらラップをはずし、180度に予熱しておいたオーブンで35~40分焼く。
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監修:今田美奈子(いまだ・みなこ) 洋菓子・食卓芸術研究家。「今田美奈子食卓芸術サロン」主宰
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